私がなぜ今のような活動をしているのか、その背景が見えてくると思います。
よかったら目を通してみてください。
1976年群馬県生まれ。
6歳年上の姉と双子の弟の三人きょうだいで育つ。
物心ついた頃から父がアルコール中毒で毎晩暴れて母にいつも迷惑をかけている姿を見続け、いつしか親やまわりの顔色をうかがって「こうすれば喜んでくれる。怒らない」と即座に判断して対応するアダルトチルドレンの気質が育つ。
おとなしく聞きわけの良い子供だったので、親には「手がかからない子」と言われていたが、自分にとっては家は安心できる場所ではなく、自分の居場所はないんだとずっと思って過ごしていた。
対象的に、双子の弟はやんちゃで奔放という正反対の性格で、兄弟の関係は良くなかった。
小学時代は自分がしたいからではなく「まわりから認められるために」運動も勉強も頑張って、友達の顔色もうかがいながらうまくつき合う子供だった。
たまたま運動能力は人並み以上にあり、小1から「親にやらされた」水泳では5年生時にリレーの学校代表に選ばれる。徒競走も早く、みんなに認められていた。しかし「自分はすごい」という自負も自信もつくことはなかった。
中学時代は近所で懇意にしている方の勧めでバレーボール部に入部。
全中大会に出るほどの強豪校でありながら2年生から試合に出られるようになり、県の選抜チームのレギュラーにもなる。(ポジションはセッター。背の高いセッターというめずらしい存在になっていた)
それでも自分に対する自信は芽生えず、県の選抜チームでもメンバーたちの顔色をうかがって雰囲気の調整役に徹するほど、物心ついた頃からの自分の気質は変わらないまま。
高校はバレーボールの強豪校へ推薦で進学するつもりだったがうまくいかず、辛うじて地元の普通科の高校に進学することに。そんなこともあって高校ではバレーボールから離れてテニス部に入るが、物足りなさを感じて2年生からバレーボール部へ。
ほどなくキャプテンとなり、素人同然のチームメイトを鍛えて、大会に出てはすぐ負ける弱小校を県大会でベスト8まで導く。
それでも達成感はなく、高校入学後から抱えていた「自分のことより他人の顔色をうかがって生きてきたために将来自分は何がしたいかわからない」という葛藤に苦しみ続ける。
その理由が「自分の内なる心」にあるのではないだろうか?と思ったことから、高1の頃から本を読み始め、初めて自分の小遣いで買った斎藤一人さんのベストセラー「変な人の成功法則」に衝撃を受ける。
その後も心理学・哲学・宗教、自己啓発の本を読み続け、高3の頃には母が新聞広告で見て買った心理学の本を読み、仏陀やキリストの教えを説いた内容に感銘を受け、著者が開催するというセミナーに参加する。
しかし、これほど知識を積み重ねても「自分はこの先何がしたいのか」を見出せず、高校側からもらった大学の推薦を断り、ひとまずアルバイトをしながら通信制の大学へ進む道を選ぶ。
そこからは迷走の日々。
「やっぱり大学に行きたい」と思い、次の年に受験して飛行機整備系の短大に受かるも、寮生活でまわりの仲間の顔色をうかがう日々に耐えられず、学校に行かなくなり実家に戻ってしまう。翌年には別の大学を受験して合格するも、入学金を払ってもらったのに一度も学校に行かずに終わる。このように、人並みのレールに乗りたい、でも実際に乗ろうとすると逃げてしまうというどうしようもない日々を送る。
結果、自分に何の希望も持てず、引きこもって昼夜逆転の生活をしたり、アルバイトしたりという無気力な日々を過ごすようになる。
唯一の気晴らしは夜中に母の車を借りてドライブしたこと。
バイクも自転車も乗っていて、自分はドライブが好きだと自覚した頃にたまたま市場のマグロの仲卸で配達のアルバイトを見つけて「ドライブが仕事になるのはいいな」と応募。ゴルフ場のレストランや高速道路のサービスエリア、料亭・寿司店などに配達するたび「ありがとう!」と喜ばれ、生まれてこの方感じたことがなかった嬉しい感情がこみ上げる。
コンビニの駐車場に車を停めて休憩していた時、トラックドライバーの姿を見て興味を持つ。
その頃は運動能力が高いのを活かしたスポーツインストラクターの道も考えていたが、面接に行くと「社員は半年休んでない」と言われ、希望が持てなくて辞退。
一方でドライバーの求人は土日祝日がしっかり休める会社が多く、やはりドライバーがいいと思い、せっかくなら大型免許を取ろうと思って取得後、21歳で運送会社に入社。
工場からユニットバスの設備を運んで納品する業務を毎日2往復。
毎朝2時に起きて夕方6~7時に帰る生活を続け、2年目には関西の工場まで行く長距離定期便を担当するなど過酷な日々を過ごしつつ、他社のドライバー仲間との交流も増える中で誘いを受けて3年後に転職。ドライバーのみならず、倉庫管理や運行管理の仕事も担当した。
しかし、途中で人の紹介で暖炉を作る職人になろうとしたり、アスリート用の弁当を作る会社に入ったりと迷走し、その後けん引免許を取ってトレーラーに乗るドライバーとして物流業界に復活。こうして、最初の運送会社から転職後は28歳まで、最大半年で転職を繰り返して過ごす。
その後、今までで最もしっかりした大企業系の運送会社に入ることになり、2019年まで勤務。
3年目に技能の競技会で入賞。10年以上キャリアを積まなければ入賞できないと言われる中での入賞で、社内での注目度が高まる。
4年目に抜擢され、ドライバー業務を離れて物流センターの立ち上げをいきなり全面的に任される。1年間、ほぼ無休、夜中も工場で欠品や荷品違いがあるとすぐに携帯に連絡が来て飛んでいかなければならず、派遣の人が休んだらその人の仕事もしながら自分の仕事もするという過酷な日々を過ごす。
望んでやっていた仕事ではないのに「あいつは上の人にゴマをすっている」と言われて同僚に嫌悪感を抱かれる経験も。
立ち上げは成功し、社内での評価は上がったが、うつを発症。
出世コースを外れてドライバーに戻ることに。
しかし体調不良は続き、健康になることを求めて整体やセラピーの施術を受け、会社の休日に今度はそれらを学ぶようになる。
その興味はエネルギーワークや気功にも広がり、受講者仲間と交流する中で「身体のことよりもさらに根本的な心のことも学びたい」と、2017年から人間行動学も学び始める。自分が幼少の頃から本質的に変わっていないのは自分の内面に問題があり、その問題を深く洞察するのに人間行動学は非常に役に立ち、現在の活動をする礎となった。
一方、子供の頃、20代の頃と、二度誘われて始めたものの途中で道場に通えなくなりフェードアウトした極真空手を30代で再度始める。
2019年、会社を退職。人間行動学セミナーの受講者仲間であった心理カウンセラーの勧めで、子供の不登校・引きこもりや親子関係、自分の内面など、さまざまなテーマのカウンセリングを始める。
これまでの数々の学びや人生経験を重ねる中で、大学を3つやめて仕事も半年以内に転職を繰り返したかつてのような自分から脱却するには「変えようとすることから始めない」ことが重要だと確信する。これが「そのままでOKから始める」の原点となる。
このあり方をモットーにしたカウンセリング、やセラピーでクライアントを傾聴・共感・受容し、心身や状況の好転をサポートし続ける。
「昔の自分みたいな人生にならないように」という想いで、今日も「人生の好転家」として活動を続けている。